今日の散歩 ~歴史と地形とエトセトラ~

散歩しながら歴史と地形とエトセトラについて考える。

#1 京都の散歩 御土居 御土居編⓪

0.今日の散歩

 初回は京都・御土居編の第0回。かつて豊臣秀吉によって京都に築かれた巨大防壁・御土居に迫る。今回のテーマは御土居全体。細かいスポットは次回以降に紹介する。

皆さん、今日は御土居を散歩してみませんか?

・目次

1.そもそも御土居って?

 御土居とは、豊臣秀吉京都の町全体を囲うようにして築いた土塁のことだ。下の御土居マップを見てもらいたい。茶色のラインが御土居を表している。拡大・縮小して、そのサイズ感を確かめてほしい。

御土居マップ

1-1.御土居の大きさ

 全長は五里二十六町(約22.5km)。東は鴨川、西は紙屋川、北は鷹ヶ峯、南は九条通りに沿って築かれた。構造としては、台形の土塁と堀からなる。とにかく大規模

なぜ秀吉はこんなにも大きな範囲を御土居で囲い込んだのだろう?

1-2.御土居の役割

 御土居天正十九年(1591年)、前年に天下統一を果たした豊臣秀吉によって築かれた。主な役割は二つあるとされている。一つは、外敵の侵入を防ぐこともう一つは、堤防として鴨川の氾濫から街を守ることだ秀吉は戦乱の世で荒廃した都がこれ以上荒れないように改造したかったのだ。

1-3御土居の現在

 そんな巨大な土塁ならば、多くの場所で現在も見ることができるのではないかと思いがちだが、答えはNoだ。

 現在、御土居が確認できるのは9箇所だけ。江戸時代に入り、京都に安定した平和が訪れたころから、鴨川に新しい堤防が築かれたこともあり、御土居は次々と取り壊されていった。第二次世界大戦後には大部分が消失し、1930年現存する御土居の8箇所が史跡に認定された。後に加えられた1箇所も含め、今では9箇所の史跡で御土居を感じることができる。

2.御土居を散歩しよう

2-1.史跡に訪れる

 御土居を感じられるスポットととしては、先ほども述べた9箇所の史跡があげられる。当時の御土居が保存され、土塁の土盛りを確認することができる。御土居の姿を見てみたいものは史跡を訪れるのがいいだろう。

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①北区紫竹上長目町・上堀川町(加茂川中学前)

②北区大宮土居町(玄琢下)※

③北区鷹峯旧土居町2※

④北区鷹峯旧土居町3(御土居史跡公園)※

⑤北区紫野西土居町※

⑥北区平野鳥居前町

上京区馬喰町(北野天満宮

⑧中京区西の京原町(市五郎稲荷神社)

→上の画像はこちらで撮ったもの

上京区寺町広小路上る北之辺町(盧山寺)

※多くの地名に「土居」が使われているのが分かる。これらは御土居に由来する。

 

2-2.[オススメ]町中を歩く

 御土居が消失した町の中にも、御土居の痕跡を見つけ出すことができる。ぜひ、御土居マップの茶色のライン(実際に御土居があった場所)のどこかへ足を運んでもらいたい。御土居があった場所には①微高地と②細長い区画割、③関連史跡がある。

①微高地

 御土居は消失したとはいえ、大量の土砂を積み上げて造られていたために、解体された後でも跡地の場所は周りと比べて微かに高まっている。中でも顕著なのは、梅小路京都西駅前の七条通だ。走っている車を見てみると、東から駅の方へ向かう車は坂を登っていて、駅から西へ向かう車は坂を下っているのが分かる。この高低差は御土居があった名残なのだ。

②町の区画割

 御土居があった場所は、御土居が解体された後に新しく利用できる土地となったため、周りの町とは違う区画割を持っている。京都駅の日本一長いホームである0番ホームは御土居跡の土地を利用されている。また、京都の中央卸売市場は御土居があった場所に、細長い区画で存在している。他にも航空写真を使った地図を見ると、御土居があった場所には細長い地割が存在するのが分かる。

③関連史跡

 御土居が過去に存在していたライン上には御土居関連の寺社や史跡がある。例えば、御土居を解体したときに中から出てきた石仏を置いている高山寺や、御土居の堀の一部を残している豊康竜神などがそうだ。御土居自体の史跡を訪れると同時にぜひこれらの関連する史跡も併せて訪れてもらいたい。

3.御土居にまつわるエトセトラ

3-1.洛中と洛外

 京都に住んでいる者の中では、洛中に住んでいる人だけが本当の京都人というようなやや差別的な認識が昔ほどではないが今も存在している(宇治に住む筆者も実体験あり)。実は、そんな洛中洛外というのは御土居がつくった概念なのだ。何度も書いているが御土居は町を大規模に囲う土塁なのだ。御土居により、塀の内と外という概念が生まれ、御土居がなくなった今でもその名残が存在しているのだ。

3-2.京の七口

 御土居築造時、御土居の中へ入るために設けられた街道の出入口を京の七口(粟田口、東寺口丹波口清蔵口鞍馬口、大原口、荒神口の七つと一般的にされている)と呼んだ。有名な三条大橋は粟田口(三条口)となっており、江戸・日本橋まで続く東海道の起点となった。また、丹波口鞍馬口など現在の地名に残るものも存在している。

4.最後に

 今回はブラタモリでも度々登場する御土居をテーマに散歩のススメを書いてみました。私自身、御土居マップを頼りに御土居ライン上をひたすらに歩き、御土居に関連するスポットを巡りに巡っています。京都に住まれている方、京都に訪れる予定のある方、気が進みましたら、ぜひ御土居を散歩してみてください。本ページでは伝えきれなかったことがたくさんありますので、より御土居に関して知りたい方は参考文献を読んでみてください。

 

○参考文献

京都市."御土居".京都市情報館.2019-1-29

https://www.city.kyoto.lg.jp/bunshi/page/0000005643.html

京都市."御土居跡".pdfファイル

https://www.city.kyoto.lg.jp/bunshi/cmsfiles/contents/0000120/120267/08.pdf

京都商工会議所."京都・観光文化検定試験公式テキストブック".2016-7-15

・京都高低差崖会."御土居マップ".2008-4-21

https://www.google.com/maps/d/viewer?mid=1pVyMuu-e_2t2SeNooE-gTOdKKu0&hl=en_US

同志社女子大学."JR京都駅0番ホームの謎".2018-5-28

https://www.dwc.doshisha.ac.jp/research/faculty_column/2018-05-28-09-41